上席顧問津田克彦先生のブログ
ブログ第2回「幼稚園➔小学校 認識のアップデート」
2021/02/08 公開
2021/11/05 update
プラチナム学習会顧問の津田克彦です。ブログ第2回をお届けします。
前回のテーマは小学校就学準備第1回として「小学校の教育はどう変わる」というテーマでお話しましたが、今回は小学校就学準備第2回「小学校ってどんなところ?」というテーマでお話したいと思います。
保育と教育はよく似た連続性のあるもののようにみえますが、小学校に入学した子ども達にとっては大きな違いがあります。そのギャップで小学校入学直後につまずく児童もいます。まず、保護者がその違いを知ったうえで子ども達を見守っていくことが大切です。その違いとは、大人の保護から子ども自身が自立していくことです。
小学校ってどんなところ?
幼稚園や保育園の保育と小学校教育の一番大きな違いは「連れて行ってもらう幼稚園・保育園から自分で行く小学校」です。すなわち小学校は独り立ちを始める時期であり、場所なのです。学校生活を楽しく過ごすには自己管理能力(自立)が育つことが必要です。
①連れていかれる「園」から自分で行く「学校」へ
幼稚園・保育園では、お家の人(大人)に手を引いてもらって、園まで、あるいは園のバスまで連れて行ってもらいます。しかし、小学校は自分で家の玄関を出て、自分で学校に行きます。小学校から義務教育です。子ども自身の意志(自覚)で学校に通います。
②自分のことは自分で(衣・食・時間空間の自己管理)
小学校では時間割に沿って一日の生活が決められています。そこに子ども達の自由はありません。チャイムで授業が始まり、チャイムで授業が終わる。次の授業の準備は教科などを考えてする。専科授業は専科教室に移動する。トイレは休憩時間に行くなど、自分で考え、判断する力が必要です。
また、体育の前には体操服(夏の水泳の時期には水着)、給食の時間には給食着など自分で着替える。給食は子ども達で配膳し、決められた時間内に食べる。そして、宿題や明日の準備物は連絡帳などで自分で把握して帰ります。
③担任の先生は補助役
幼稚園・保育園の担任の先生は何事に対しても丁寧に教え、手伝ってくれます。しかし、小学校の先生は、子ども達が学校生活や学習を子ども自ら学ぶ手助けをするのです。
小学校は子ども達が協力して学校生活を送っていきます。先生は助言者的立場で、1学級(40人程度)に担任の先生が一人、さらに授業中心なので、子ども達一人一人と触れ合う時間が幼稚園・保育園より少なくなります。そのために子ども達自身が判断しなければならない場面が多くなります。
④同世代仲間との関わり
小学校の学校生活は子ども達が集団で営んでいきます。友だちと相談したり助け合う場面や、協働で作業をしていく機会が多くあります。そこには家族とは違う喜びを感じることもあります。逆に苦痛を伴うこともあります。友だちと仲良く過ごすためには感情のコントロール(我慢)も必要です。
そして、なにより自分の気持ちを正しく伝えるコミュニケーション能力を育てていくことが大切です。
⑤学習と評価
遊び中心だった幼稚園・保育園の保育から学習中心の小学校教育へと変わります。小学校では45分単位で学習し、遊び時間はあくまで休憩時間であり、学校生活の中心ではありません。そして、学びには評価がついてきます。そのために自分の評価(序列)を知ることになります。
これらのように幼児保育から小学校教育へは、子どもにとっては大きな変化です。子どもの中につまずく子どももいるでしょう。つまずかないようにするために、幼児期に少しずつ、変化に対応できる能力を身につけていかなければなりません。その能力は非認知能力とよばれているものです。また、先生から保護者への連絡も幼稚園・保育園の先生のように密ではありません(連絡プリント等はたくさんあります)。ですから、小学校入学直後には保護者の方々から「小学校の先生は不親切」などの言葉をよく聞きますが、園の先生と小学校の先生の役目の違いなのです。
保護者も小学校に入学する心構えが必要です。小学校は子ども達が、将来、大人になった時の社会性を学ぶ第一歩なのです。いままで、しっかりと抱きかかえてきた子どもを、そっと下に降ろし、子どもが自分で歩む姿を見守っていくことが大切です。
◆〈つぶやき〉コーナー◆
年末、携帯電話が急に使えなくなってしましました。
「約束をしている友人にどう伝えたら?」「明日の打ち合わせの時間と場所は?」「来週のスケジュールは?」「Aさんの連絡先は?」「通販で至急に買いたいものがあるのだが」「今日の主なニュース」・・・
この時点で、自分がいかに携帯に依存しているかをはっきりと自覚しました。皆さんはそんな経験はありませんか?
私が生まれた(昭和26年)ころ、家には電話はなく、急な知らせは電報を使っていたように思います。日ごろ、人と人の連絡はどのようにしていたのでしょう。伝達の主な手段は手紙でした。中学生ぐらいから結構な数の手紙(ラブレター?)を書いてポストに投函していました。高校生のころには、我が家にも電話機が設置されました。女友だちの家に電話するのに勇気がいりました。なぜなら、電話にはご両親が出るからです。ダイヤル(指でぐるぐる回す)の途中で何度もやめたり、お父さんの声を聞いてすぐに切ったことを覚えています。駅には伝言板がありました。「Aさんへ 先にどこどこに行ってます。Bより」なんてたくさん書いてありました。緊急の連絡が難しく、当時は「友達を何時間も待った」なんて話を聞きました。ですから約束は日時・場所などをきっちりと決め、余程のことがない限り、ドタキャンするようなことはありませんでした。そのあとポケベル、そして携帯電話と発展していきます。いまは、世界中どこにいても、誰とでも連絡がすぐにつくようになりました。とても便利な社会です。しかし、その便利な道具も上手に使わないと、人を苦しめる道具になりかねません。携帯電話に依存しすぎている現代の我々は携帯電話に縛られているのかもしれません。携帯電話を落としたら(そんな映画がありましたね)どうなるか、少し考えさせられた年末でした。
上席顧問 津田克彦
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